LOGIN「お主も研究者だったんじゃろ? もっと科学的に考えてみぃ」
少女がビシッとシャーロットを指差した。
「コンピューターが発達すれば、地球のシミュレーションなどいくらでもできる」
少女は講義でもするかのように、ゆっくりと語り始めた。
「そして百数十億年という悠久の時の中、コンピューター内に無数に作られる地球と、天然の地球――どっちが多い?」
「えっ!? それは……」
シャーロットの表情が曇った。
研究者としての理性が、答えを導き出してしまう。もし本当に地球を量産できるのなら、それは圧倒的に――。だが、本当だろうか?
シャーロットはキュッと口を結んだ。
「何を悩む余地がある」
少女はニヤリと笑った。
「人工の地球に決まっとろう。圧倒的な数の差で人工の方が多い。で、お主が生まれた地球は人工か? 天然か?」
確率論。
シンプルで、残酷なまでに論理的な問いかけ。
論理的に考えるなら自分が生まれた地球が天然である確率は、限りなくゼロに近い。でも――、それを認めてしまったら大切なものを失うような気がしてしまう。
「そ、それは……」
シャーロットの声が震えた。
あの研究室で過ごした日々。同僚との議論。深夜まで続けた実験。すべてが、ゲームだったというのか?
「科学的に考えたら自明じゃな」
少女は肩をすくめた。
「天然物の地球など、ありえんじゃろ」
シャーロットは目をぎゅっとつぶった。
白衣を着て顕微鏡を覗いていた自分。
失敗に落ち込み、成功に歓喜した日々。 過労で倒れたあの最後の瞬間まで――。すべてが、ゲーム――だったのか?
「そんなこと……」
震える声で呟く。
「考えもしなかったわ……」
深い、深いため息が漏れた。
世界の
「田舎の親が倒れちゃって、急遽行かなくちゃならないのよ……」「あらら、それは大変ですね」「そうなのよ。でもこんな直前に取りやめたら迷惑かけちゃうじゃない? 誰か切り盛りできる人を探してるんだけど……」 すがるような視線が向けられる。「良かったら、お願いできない?」「へ? 私がですか!?」 シャーロットは目を丸くした。「カフェを開くんでしょ? この街を知るいい機会にもなるはずよ?」 店主はニコッと微笑む。 出店をを……出す……? トマトがないこの世界でオムライスを出せば、間違いなく大成功するだろう。 店主の期待にも応えられる。 でも――――。(そんな悠長なことしてる場合じゃない) 自分の使命は【|黒曜の幻影《ファントム》】の捕獲。 出店なんて出している暇は――。 その時だった。 シャーロットの中で、何かがチリッとスパークした――――。(え……? ……待って) 思考が、急速に回転し始める。(トマト……?) 心臓が、ドクンと大きく脈打った。(そうよ……【|黒曜の幻影《ファントム》】だって、元は|万界管制局《セントラル》の職員なんだから、トマトの美味しさを知ってるはずだわ!) そして、この世界にはトマトがない。 もし、ルミナリア祭でオムライスを出したら――――。「そうよ!」 シャーロットは弾かれたように立ち上がった。「これだわ!」 驚く店主の手を、両手でがっしりと掴む。「やります! やらせてください!!」 瞳が、希望の光でキラキラと輝いた。(聞き込みで見つけられないなら
そんな中、八百屋の店先で一つだけ些細な発見があった。(やっぱり……) 色とりどりの野菜が山と積まれた中に、あの赤い宝石のような姿はない。(この世界にも、トマトはないのね……) シャーロットの顔に、寂しい笑みが浮かんだ。 脳裏に浮かぶのは、『ひだまりのフライパン』の看板メニュー。(もしここで『とろけるチーズの王様オムライス』を出したら……) ふわふわの卵に包まれたケチャップライス。 とろりと溶けるチーズ。 そして何より、トマトの酸味と旨味が凝縮された真っ赤なソース――――。 きっと、この世界の人々を驚かせ、虜にするだろう。(って、そんなこと考えてる場合じゃない!) 慌てて頭を振り、妄想を追い払った。今は捜査に集中せねばならないのだ。 ◇ 半日かけて市場を回り尽くしたが、成果は完全にゼロ。 シャーロットは噴水の縁に腰を下ろし、顔を両手で覆った。(どうしよう……本当にどうしよう……) 初日でこの有様では、先が思いやられる。 誠さんに何と報告したらいいのだろう? 『何の成果もありませんでした!』なんてどんな顔で報告したら――――。 シャーロットはぎゅっと目をつぶった。(聞き方が悪いのかな……) いや、そもそものアプローチが根本的に間違っているのかもしれない。(もし私が【|黒曜の幻影《ファントム》】だったら……) 目を閉じて、想像してみる。 この中世ヨーロッパ風の大都市。石畳の道、運河、白亜の建物。 システムをハックしながら、人目を避けて生きる日々。 孤独で、誰とも深く関わらず、でも人恋しさは消せない。どこへ行く――――?「あっ
『でもまぁ』 誠の声が、急に優しくなる。『その天然ボケが、聞き込みには合ってそうだから期待してるよ。はっはっは』「て、天然ボケって……」 シャーロットは頬を膨らませた。『いやいや、いい意味でだよ』 誠は慌てて付け加える。『明朗快活、のびのびと自分の道を行くキミには、我々にない視点があると思うんだ』 温かい励まし。『システムに詳しい我々は、どうしても理詰めで考えてしまう。でも、キミなら違う角度から【|黒曜の幻影《ファントム》】を見つけられるかもしれない』「そ、そうですよ!」 シャーロットの顔が、パッと明るくなった。「私、絶対に【|黒曜の幻影《ファントム》】を見つけて……」 グッと拳を握りしめる。「私の世界を取り戻すんです!」 あの三分間の記憶が、胸を熱くする。 彼の温もり、優しい声、そして最後の約束――『ひだまりのフライパン』で、また会うのだ。『ははは、その意気だ』 誠も笑った。『まずは、その先にある市場からね。朝市の時間だから、人も多いし、情報も集まりやすいはず』「ラジャー!」 シャーロットは敬礼のポーズを取った。 そして、中世ヨーロッパ風の編み込みが施されたカーキ色のワンピースの裾を整える。それは田舎から来た純朴な娘――中身は神の力を操る元転生カフェ店主――完璧な変装だ。(【|黒曜の幻影《ファントム》】を見つければ、それだけでゴール!) ふんっと鼻息を荒くする。(なんて簡単なお仕事! 今日中に決めてやるんだから! ゼノさん、待っててね!) キュッと口を結ぶと、シャーロットは意気揚々と大股で歩き始めた。 ◇ 石畳の道の先には、色とりどりのテントが立ち並ぶ市場が見えてくる。 野菜や果物の山、香辛料の匂い、魚を売る威勢のいい声
「そう。でもね」 誠の目が、真剣に光った。「【|黒曜の幻影《ファントム》】を捕まえない限り、多くの地球がハックされ続ける。無数の人々の平和な暮らしが、奴の気まぐれで壊され続ける」 そして、少し声を落として。「美奈ちゃんも、これでかなり頭を痛めているんだ」 期待のこもった視線を向ける。「もし、キミが見つけたとしたら……それは間違いなく大成果だよ」「ほ、本当ですか!?」 シャーロットの目が輝いた。「じゃあ、見つけるだけでも、私の世界は復活できるってことですか?」「ああ、きっと十分だと思うよ」 誠は頷いた。 うわぁぁぁ……。 ゼノさんに会える。 カフェを再開できる。 あの温かな日々が戻ってくる――。「でも……」 現実的な問題に戻る。(どうやって見つけよう?) 渋い顔で腕を組む。 シャーロットにはシステムの知識がない。できることといえば、街のライブ映像をじーっと眺めるくらい。でも、それで変幻自在のテロリストを見つけられるはずもない。「うーん、まぁ……」 誠は頭を掻いた。「とりあえず研修……からかな?」 苦笑いを浮かべながら、新しいプログラムを起動する。「まずはチュートリアルを受けてみて。基礎の基礎から始めよう」 誠はニヤリと笑う――――。 再び、シャーロットの体が光に包まれた。「えっ、ちょっと……」 言いかけた言葉は、白い光の中に消えていく。 次の瞬間、シャーロットはまた真っ白な空間に立っていた。(研修……か) 大きく息をつく。 この世界のシステムなんて分からない。
でも――。 次の瞬間、ゼノヴィアスの体が透け始める。「あぁっ!」 霧のように、薄れていく愛しい人。「ゼノさぁぁぁん!」 シャーロットは必死に抱きしめようとした。でも、その手は虚しく空を切る。「また、カフェで会おう!」 最後に残った笑顔。 いつもの、不器用だけど優しい笑顔。 そして――。 完全に――消えた。「ゼノさん! ゼノさぁぁぁん!」 真っ白な空間に、シャーロットは崩れ落ちる。「うわぁぁぁぁん!」 慟哭が、何もない世界に響き渡っていった。 でも、唇にはまだ彼の温もりが残っている。 シャーロットは唇をそっと撫で、また涙をこぼす――――。 必ず、必ず成し遂げてみせる。 その決意を、涙と共に白い空間に刻みながら。 ◇「あれほど三分って言ったのに……」 オフィスに戻ると、誠がジト目でシャーロットを見つめていた。 その表情は呆れているようで、でもどこか優しさが滲んでいる。「ご、ごめんなさい……」 シャーロットは肩を縮こまらせた。「三分って、本当にあっという間だったので……」 まだ頬は涙の跡で濡れている。唇には、彼の温もりが残っている。たった三分――でも、無限の勇気をもらえた時間。「まぁいいよ」 誠は苦笑いを浮かべて手を振った。「それだけ大切な時間だったんだろ? 俺が美奈ちゃんに怒られるだけだから、気にしないで」「ほ、本当に申し訳ありません!」 シャーロットは深々と頭を下げた。この人の優しさが、胸に染みる。「で、早速なんだけど……」 誠の表情が、急に真剣なものに変わった。「キミへのミッションにつ
やがて――。 ヴゥゥゥン…… 空間が震え始めた。 白い世界に、小さな歪みが生まれる。 それは次第に大きくなり、人の形を取り始めて――。「あ……」 立派な角。 漆黒の髪。 深紅の瞳。 紛れもない、魔王ゼノヴィアスがそこに出現した。「ゼノさん!!」 シャーロットは叫ぶ。 考えていたことも、伝えたかったことも、すべてが吹き飛んで、ただ本能のままに彼の胸に飛び込んだ。「うわぁぁぁぁん! ゼノさぁぁぁん!!」 涙が止まらない。 広い胸に顔を埋め、ただひたすらに泣いた。 彼の温もりを、匂いを、存在を、全身で感じながら。「お、おぉ、シャーロット……」 ゼノヴィアスは明らかに戸惑っていた。「ど、どうしたのだ……? なぜそんなに泣いて……」 大きな手が、おずおずとシャーロットの背中に回される。「会いたかったの」 しゃくり上げながら、必死に言葉を紡ぐ。「会いたかったんだからぁぁぁ……」「ふはは、どうしたのだ?」 ゼノヴィアスは困ったように、でも優しく笑った。「我も会いたかったぞ? いつもシャーロットのことばかり考えておるのだから……」 その大きな手が、そっとシャーロットの髪を撫でる。 不器用で、でも限りなく優しい手つきで。 シャーロットは耳を澄ます――彼の心臓の音が聞こえてくる。 ドクン、ドクンと、いつもより速く脈打っているのが分かる。 思い切り、彼の匂いを吸い込む。 もう二度と感じられないかもしれない、この匂いを、体中に刻み込むように。「好き……」